世の中のサタンという存在
○「小さい頃から何をやってもうまくいかない。」
○「自分の考えた通りにことが運ばない。」
○「いじめられていることを誰にも言えない。」
○「兄弟と比較され、家族に認めてもらえない。」
○「なんでこんなに苦しいことばかりなのだろう」
●「私を滅ぼそうとしているヤツがいるんじゃないだろうか?」

そんなことを考えながら、過ごして大人になっていきました。
大人になって出会った本に「論語」がありました。人間の私利私慾を捨て正しく生きる。努力を惜しまず、怒らず、文句も言わず。そんな人間になりなさいと言われるようでした。
今までの自分を振り返っても、全く違う人生だったので、うまくいかないのも当然だなと思っていました。それからは自分なりに、努力をし、頑張って生きてきたつもりでした。結婚もし、子供にも恵まれ、
一時的には幸せでした。でもその幸せは長続きしませんでした。
その時、小さい頃から考えていた何かがよみがえり、私を邪魔しようとする何かがきっといるんだ!この邪魔者を取り除かなくては、幸せがないと考え、仏教でいう「無」という教えを請うてみようと思いました。
「そうだ、出家しよう!」と思って高野山の宿坊に行くつもりでいました。そんなある時、知人に紹介された人と出会いました。その人は自分の辛かった体験を通して、キリストと出会ったと言っていましたが、正直よくわかりませんでした。
しかし、その人が「暗闇」という言葉を言いました。私を滅亡に追い込もうとしている存在に暗闇があるというのです。その暗闇は混沌、虚しさを与え生きながらも地獄を味わわせるというのです。うまく行くように見えた道も、最後は滅びで失敗に終わらせようとする存在があるというのです。
その存在は「サタン」だと言われました。その瞬間l全て合点がいきました。私がうまくいかなかったのは、サタンがいて滅亡させようとしていたからなのだと!!
すると涙がこぼれてきました。
今まで何もわからず、誰にも教えてもらえなかったこと。
どの本にも書いていなかったサタンという存在。
ただ聖書にだけ示されたキリストの奥義。
サタンを打ち砕く、身分権威が与えられたこと。
本当の神様との出会い。そんな安堵からの涙でした。
その時、私の心には、真の平安が訪れていました。
後に、
ヨハネの福音書14 : 27
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
という御言葉を知り、真の平安を与えられることを体験しました。それゆえ聖書の御言葉が真実であることを信じることができるようになりました。サタンの存在を打ち砕く唯一の創造主神様、救い主として来られたイエス・キリスト、助け主として永遠に共にいてくださる聖霊様の三位一体の神様を信じることができる信仰生活の始まりとなりました。
ヨハネの福音書14 : 27
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

続く。。。